今日は僕が伴奏をし始めた頃の
話をしたいと思います。
僕が伴奏を始めたのは
21歳の頃でした。
当時僕は大学4年生で、
周りが就職活動やら
卒業論文やら何やらで
何かと騒がしい時期でした。
「このまま、周りと同じように
就職をするのかな~?」
「でもなんかイメージないなー」
と、青春のお決まりのごとく、
悩みに悩んでいた若き頃でした。
そんな中、
たまたまインターネットで見つけたのが、
「全国学生フラメンコ連盟」
(通称:フレスポン)
の存在でした。
関東・関西中心の大学の
フラメンコサークルが集まった団体で、
年に2回ほど、東京と千葉の館山で
公演を行っているというのです。
僕はラテン歌手の父親のすすめで
6歳の時にフラメンコギターを
始めてはいたのですが、
周りを見回しても、
フラメンコを楽しんでいる仲間はいませんでした。
(そりゃそうか・・・)
「自分と同じ年ぐらいの仲間がいるのか!?」
と初めは半信半疑でしたが、
早速メールで連絡を取り、
当時の代表の方から
お返事を頂くことができました。
恥ずかしながら僕の大学時代は、
あまり学生らしい生活
(スポーツをしたり、マージャンしたり、合コンしたり(笑))を
してこなかったので、
こうした他大学の交流というのは
内心ドキドキだったのですが、
実際行ってみると、
「待ってました!」
といわんばかりの
歓迎ぶりだったのです(笑)
というのも、
当時のフラメンコ事情は
(今でもそうですけど)
踊りは多くてもギターを弾いてる人は
本当に少なかったんですね。
そんな中、
珍しいフラメンコギター弾きの
僕が行ったのですから、
興味を持ってくれるのも頷けると思います。
そうして、いくつかの大学の
フラメンコサークルを渡り歩いた中で、
一つ年下のギター弾きの男の子と仲良くなりました。
その時は初対面ながらも意気投合して、
いきなり彼の家に泊まりに行きました。
(後にも先にもこんな経験は初めてでした)
彼の家で飲みながら、
いろいろギターの話をしたり、
将来の話をしたり、
若者らしく青春の悩みを話したりして、
とにかく楽しかった記憶があります。
明け方近くになり、
気分転換に近くの公園へ行くと、
彼がこんなことを言ったんです。
「池川さん、世の中にはいろんな種類のギタリストがいますが、
メシを食っていけるのは、フラメンコギターだけなんスよ、なんでだと思います?」
???
いきなり何を言うんだ?
と思いながらも、答えられずにいると、
彼から意外な答えが返ってきたんです。
「踊りの伴奏っていう仕事があるからですよ」
今まで、「ギターでメシを食いたいなー」という漠然とした夢でしか
将来を考えられていなかったのですが、
その瞬間、
「まずは踊りの伴奏をできるようになれば、いいんだ!」
という一筋の光のようなものが見えたんです。
もちろん、踊りの伴奏というのも簡単なものではなく、
大変な技術が必要なのですが、
それでも、「ギターでメシを食う!」という漠然とした夢に
一筋の光が見えた思いがしたのでした。
あの時の気持ちは一生忘れられません。
こうして、まずは踊りの伴奏を
学ぶことにしたのです。
しかし、これがまた
長い長い苦難の道のりの
始まりに過ぎなかったのです・・・。
【第2回目】を読む